時間芸術としての絵画、空間芸術としての演奏
本展キュレーター 門脇篤
かっつんとはじめて即興演奏をステージというかたちで上演したのは2018年3月のことだ。前年の2017年暮れにアート・インクルージョン・ファクトリーは一番町へと移転し、そのお披露目として開催された企画「Ai OPEN!」での演目のひとつとしてステージに立った。 かっつん「と」と書いたが、いわゆる「演奏」をしているのはかっつんだけで、ひたすら電子ピアノの鍵盤をたたきつづける彼のかたわらで、私はパソコンからビートを出したり、かっつんのたたくキーボードから送られてきた信号をさまざまな音色に変えてスピーカーから出したり、それら演奏された数小節のフレーズをリアル演奏に重ねて再生したりといった「演奏」を行った。 今にしておもえば「蛇足」とも言える行為だが、それは私にとってかっつんの「音楽」を理解していくために必要なプロセスだったのだと思う。パソコンに残っている音源ファイルデータの日付を見ると、どうやらその上演に先駆けて、私はかっつんと何度も録音を繰り返していたようだ。 録音の方法としては、レコーディングとして多くの人が思い浮かべるような空気を震わせて伝わる音をマイクで録音する方法ではなく、いわゆる「打ち込み」と呼ばれる、鍵盤を入力キーボードとして使い、入力された信号をデータとしてパソコンに記録、専用のソフトで編集するDTM(デスク・トップ・ミュージック)という方法をとった。利点としては、マイクの質や録音環境などを気にすることなく演奏を記録でき、また記録されたデータとしての音符を、さまざまな音色で再生させたり、1音ずつ修正することもできる。パソコンが1台あれば曲作りから録音、ミックス、マスタリングまですべてできてしまうため、場所も選ばずコストもかからない。 私は主にこの方法で震災後に曲作りを始め、今も作りつづけている。はじめたきっかけは、震災体験を伝えるラップをいろんな人と作ろうと思ったことだ。その後、誰でもアイドルになれるプロジェクト「アイドル・インクルージョン」のアイドル活動や、インドネシアの若者たちとのアートによる国際交流など、音楽をいっしょに作っていくという行為は、コミュニティアートにとって非常に有効な方法であることがわかっていった。2013年にレーベルを立ち上げて以後、配信各ストアより定期的にリリースを重ね、2018年までにかなりの数の曲を作ってきていた。 打ち込みによる音楽のつくり方は、まずテンポを決め、それに合わせてメロディーや和音をキーボードやマウスで入力でいく。ポピュラーミュージックのほとんどの構成は最初にイントロがあって、その後にAメロ、Bメロ、サビからなるセットが2〜3回つづくというものだ。これらAメロ、Bメロ、サビもそれぞれが8小節程度を1つの単位につくられ、それを繰り返すことでできているものがほとんどである。Jポップにはかなり複雑な構成のものが多いが、いわゆる洋楽にはAメロとサビだけのシンプルなものが多い。クラシック音楽は複雑に聞こえるが、結局のところ同じテーマが繰り返しさまざまな変奏をへて演奏される、つまりはある形式をもとにそれが繰り返されるというものだ。つまり、環境音を音楽として提示するような実験的な音楽や、演奏をしないという音楽のような稀有な例を除いて、何かを繰り返さない音楽はない。「同じ演奏は二度とない」などとも言われるが、結局のところ再現できないものは音楽としては認知されていない。これが私がこれまで出会ってきた音楽だった。そしてかっつんの音楽は、私をそうした音楽の牢獄から解き放つものだった。しかしそれに気づくのにはさまざまな通路とかなりの時間を要した。 当初私がやっていたのは、かっつんが弾いた音の中から特徴的なテーマや印象的なフレーズを見つけだし、繰り返しの牢獄へと組み込んだり、それに和音をつけて自分が見たことのあるもの、聞いたことがあるものへと近づける作業だった。そうして2019年にできたのが、12曲からなる「Katzen Studio Vol.1」と名付けられたアルバムである。 Katzen Studien Vol.1 【Spotify】https://open.spotify.com/album/328qWurJ1IRQO4UsiL1MIh?si=-e-t-vqbRCK1olZI_sL8wg 【Apple MUSIC】https://music.apple.com/jp/album/katzen-studio-vol-1/1472512622?l=en これらが何なのか、私がそれに気づいていくための出来事が、大きくは2つあった。 ひとつ目は「アート・インクルージョン2018」でのかっつんの「演奏」である。「アート・インクルージョン」は、団体名であるとともに、仙台市太白区長町一帯を会場に、2010年から開催されているアート・プロジェクトの名称でもある。公共施設や復興住宅、大型商業施設や商店街などと連携し、1ヶ月間にわたって行われるアート・インクルージョンの代名詞とも言える事業で、オープニングは長町駅前広場でステージやワークショップ、マルシェなどを行う。このステージでかっつんは、少なくない聴衆を前に、電子ピアノにプリセットされているショパンのワルツを流すという「演奏」を行った。 それはひとつには、演奏しないという現代音楽がたどりついた究極のミニマリズムへの優れた応答であり、アップデートであると思う。かつて楽器と言えばアコースティックを指し、その安価版のように扱われていた電子楽器を今日そのようにとらえている人はそう多くはないだろう。実は私も当初、電子ピアノを「ピアノ」と呼ぶ人たちにどこか違和感をもっていたのだが、考えてみれば今日多く目にし、接する機会があるのはアコースティックピアノよりも電子ピアノの方であり、言葉が生き物である以上、その変化を敏感に感じ取れないのは自身の感性が鈍感なゆえなのだと思う。そうした状況において、電子ピアノに標準的に装備された音源をボタンひとつで取り出すという行為は、音楽におけるミニマリズムの極めて今日的な解釈であり、それを「発見」したかっつんの業績は大きい。 しかしそうした一般的な意味とは別に、私との関係でこれを考えたとき、それは先に述べた私の姿、すなわち自ら電子音楽の牢獄の中に嬉々としてとらわれながら、それをもってかっつんと関わろうとしている、その倒錯した姿勢をかっつんは鮮やかに描き出したのだ。このことに気づくのに私は2年を要した。 もうひとつの出来事はコロナだった。先の長町駅前での「演奏」以後も、私「と」かっつんとの上演はつづいていた。毎回というわけではないものの、一番町アーケードでのステージをはじめ、上演の折にはかっつんがキーボードをたたき、私がパソコンをいじるという形式で演奏を行っていった。コロナはそうした対面型の上演の機会をすべて奪っていった。2020年春からすべてのステージはキャンセルとなり、代替策としてアート・インクルージョンではライブ配信を始める。(以下、つづく) |